魏延 文長

シリーズ 統率 陸指 水指 武力 知力 政治 魅力 順位 偏差値
三國志 - - - 94 41 - 69 62/255 57.2
三國志II - - - 94 48 - 58 97/352 56.0
三國志III - 80 75 92 45 28 41 143/532 55.3
三國志IV 80 - - 94 45 35 41 216/454 50.0
三國志V - - - 94 48 37 56 244/500 50.1
三國志VI 78 - - 94 62 38 57 136/531 56.0
三國志VII - - - 88 46 39 36 345/538 46.1
三國志VIII - - - 90 58 42 44 269/560 50.7
三國志IX 83 - - 92 66 35 - 137/650 58.3
三國志X 85 - - 92 69 43 34 204/650 55.4
三國志11 81 - - 92 69 49 45 158/670 57.3
三國志12 85 - - 92 72 49 - 60/474 61.6
三國志13 86 - - 89 71 49 - 74/700 62.6
 反骨の相の持ち主として有名。反骨の相とは後頭部が突出していることを言うが、歴史に残るほどとなると相当なものであったと思われる。きっとフリーザ第三形態くらいには飛び出ていたのであろう。

 諸葛亮には生理的に受け付けられなかったらしく、初対面でいきなり「こいつは殺したほうがいい」と面と向かって言われる。だが、劉備には気に入られたので、諸葛亮の提案は却下されたばかりか、張飛を差し置いて漢中太守に任命されるなど重用されていた。
 しかし劉備死後は後ろ盾を失い状況が一変、諸葛亮はじめ諸将から陰湿なイジメを受け続ける。それでも劉備時代からの同僚である趙雲がいたころはまだ良かったが、趙雲がリタイアすると、状況はさらに悪化。北伐では子午谷から長安を急襲する提案を一蹴され、対司馬懿戦では司馬懿もろとも焼き殺されそうになった挙句、諸葛亮が遺言で「魏延は殺せ」と言い残したことを知ってついにキレる。しかしすでに味方は一人もおらず、一方的に唯一の友達だと思っていた馬岱にまでシカトされ憤死する。

 ここまで嫌われた原因は、他の武将は自軍の旗に「劉」や「張」などと姓だけを書くのに、魏延だけは「魏延」とフルネームで書いており、一人だけ目立とうとしたためではないかという説もあるようなないような、たぶんない。あっでも呉蘭や呉懿もそうか。